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 あなたは私のかわいいひと

「ヒバリさんもあれで可愛いとこあるんだよ」
 書類仕事の隙間、休憩にしようかと伸びをした主に合わせ、珈琲を淹れてきた獄寺の耳に飛び込んできた言葉である。ふらり訪れた元家庭教師となんともなしに雑談をしていたらしいが、ぽろぽろと取り留めもなく零していた話題から何がどうなってこの発言に至ったのか。
 自他ともに認める主至上主義ではあるが、彼の他人に対する人物評価はその人柄を映したかのごとくやさしい(あるいは甘い)ので、基本姿勢が違いすぎる獄寺には正直肯定しかねることも多々あった。ましてや孤高といえば聞こえがいいが、唯我独尊の具現化と言っても差し支えない雲である。アレに可愛げを見出すのは骸に誠実さを見出すくらい困難だと獄寺は思ったし、視線が合った最強のヒットマンも苦笑を浮かべていた。
「ツナ」
「うん?」
 この前もうんたらかんたら、と雲雀の“可愛さ”を語ろうとしていた主は、水を差されてなんだよ、とむくれて見せる。普段二人の関係を公にすることは好まない、というより恥ずかしがる彼のことだ。猫、あるいは犬、小動物や赤ん坊でもいい、多くの人間が可愛いと同意してくれるだろう生き物がこんな行動をしてたんだよ、可愛いよね! という程度の感覚でしかないのだろう。分かっている、いるのだが、残念ながら雲雀を可愛いとのたまうのは主と、百歩譲ってその兄弟子くらいなものである。兄弟子の方は家庭教師をしていた頃はともかく、今は半ば自棄な気がしないでもないが。それはともかく。
「図太くなるのはいいが惚気はいらねぇ」
「惚気じゃないって。あ、じゃあこの前骸が」
「贔屓目もいらねぇんだよ」
 ついに懐から取り出された黒光りする拳銃に、渋々主が口を閉じる。その前に珈琲を差し出し、獄寺はため息を飲み込んだ。
 骸に可愛げを感じ始めるに至った主の精神的人間的成長は素晴らしい。獄寺では一生たどり着けない境地だ。その懐の深さ器の大きさは流石の一言である。
 だが……やはり、雲雀に関する発言には“成長”ではなく“関係性”に裏打ちされた何かが滲み出ているので、出来れば何も気にしない山本辺りを相手にしてくれないだろうか、と思うのであった。

(18.05.27)


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